東洋医学を学ぼう!

東洋医学とはどのような医学なのか?奥深いその内容と歴史に彩られた世界を、おもしろく解説しています。

ごあいさつ、開講にあたって …

皆さん、おはようございます。

わたくしは、この講義を担当させていただく『イアトリズム学院』学長の「イアト」です。

どうぞ、よろしくお願い致します。

さて、本講義は《東洋医学を学ぼう!》と銘打ちまして…
深く永い歴史を持つ『東洋医学』を優しく基礎から学んでいただくことを目的に『東洋医学』の考え方や診断法、および経穴(ツボ)とはどういうものなのか等々『東洋医学』のあれこれを楽しく、またわかりやすく解説させていただく授業となっております。

さあ皆さん、準備はよろしいですか?
それでは、ご一緒に神秘に満ちた世界へと共に旅立ちましょう。

大宇宙の法則『陰陽五行説』

皆さんが普段お使いになっているカレンダーの「七曜」と呼ばれる曜日の歴史は古く、古代バビロニアに起源し、ギリシャ・エジプトにおいて紀元前1世紀頃に成立しました。

そして我が国においては、平安時代の初期になってようやく伝えられたとされています。

「七曜」とは、火星・水星・木星・金星・土星の5つの惑星と太陽・月を合わせた7つの天体に守護される日をさし、それが循環するものが「週」であり、各天体は世界の様々な国で神と同一視され、人々の生活に取り込まれていきました。

また紀元前1~2世紀頃、時同じくして中国では、宇宙の万物が「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素で作られそれらが互いに循環して運行することにより、大自然が上手くバランスを取りながら成り立っているという「五行」の概念が生まれました。

そして、太陽と太陰(月の異称)を主として〈昼は陽、夜は陰〉また〈男は陽、女は陰〉といった具合に全てのものが相対的に「陰」と「陽」に分かれるという二元論的な『陰陽』という概念も成立したのです。

その後「陰陽論」と「五行論」は、やがて習合し『陰陽五行説』となり、大宇宙の森羅万象の成り立ちを説明する大法則が樹立されていきました。

そう、つまりこれこそが『東洋医学』の根幹を支える基礎概念であり、私たち人間も勿論その大法則に包摂されると同時に、今も色褪せることなくその哲理は生き続けているのです。

古(いにしえ)の昔より人々と深いつながりを持っていた宇宙。

そして、この地球という星の大自然との結びつき。

そこには今も明かされぬ謎が多く残されているのです。

それでは、そんな神秘に満ちた宇宙を形作る大法則『陰陽五行説』とは、どのような深い意味を持ったものなのか、私と一緒に詳しく見ていくといたしましょう。

無…それは全ての始まり

宇宙の開闢(かいびゃく)それは時の流れも拡がりも何もない『無』の状態から、カオスという無秩序な混沌の段階を経て、ビッグバンと呼ばれる大爆発により始まりました。

遥か昔、約137億年も前の出来事です。

宇宙(コスモス)とは「秩序」という意味を持つ言葉。

「宇」は天地四方を、「宙」は古往今来を、すなわち宇宙とは空間と時間、つまり過去と未来をも含めた我々が暮らし生きる時空全てを表している言葉なのです。

そして私たちの世界は、その時に生まれたプラス(+)の電価を持つ「陽子」や、マイナス(-)の電価を持つ「電子」などに代表されるように互いに背反する性質を持った物質により全て構成されているのです。

「天と地」「光と闇」「生と死」など、相反する様々なものが存在する二元論の世界。

それこそが宇宙であり、また『陰陽五行説』においてはそれを「無極より太極を経て陰陽を生じ、五行に分かれたのちそれが万物に細分化された」と表現しているのです。

「無極」とは無を意味し、「太極」は混沌の状態を表しています。

そしてそこから凄まじいエネルギーとともに対になる「陰陽」に属する物質が生まれ、それらは「五行」という5つの要素に分化した後、それぞれの属性を持った「万物」へと分かれていったのです。

 陰陽五行説

「陰陽」とは「陰」に属する受動的な性質を持つものも、「陽」に属する能動的な性質を持つものも、そのどちらも善でも悪でもなくまた優劣を示すものでもありません。

「男」と「女」のように、対となって存在する全てのものたちは、そのどちらかが欠けても成立することは不可能なのです。

つまり、相反する二物の消長盛衰による秩序に満ちた調和。

それこそが『無』から生まれた宇宙、すなわち『有』の世界を支配する「陰陽」の概念なのです。

ゴーギャンの問いかけ

相手に
「君は何者だ?」
と問われたとき、あなたならどう答えますか?
多くの人は自分の名前を名乗り、また住所や職業・年齢などを答えるのではないでしょうか。

でも果たしてそれは、あなたという人間を本当に正しく表現し証明することが出来ていると思いますか?
確かに年齢は、あなたの肉体がこの世に生まれてからどれだけ時間が経過しているかを表しています。

しかし名前・住所・職業などはあなたに付属する公的条件にしか過ぎず、社会から見た場合、肉体は同じであっても改名したり、引っ越しや転職などをするとその段階であなたは別の人間になってしまいます。

では、自身を証明するにはどうすればよいのでしょうか?
それは形而下(形あるもの)のあなたである「肉体」だけを見せるのではなく、形而上のあなた、すなわち「精神」を相手に理解させることが大切なのです。

見た目ではなく、どんな考えや価値観を持った人間なのか、それが相手に伝わったとき初めてあなたが証明されるのです。

そればかりか、たとえあなたに会ったことがなくても文通などで長きに渡り交際してきたならば、あなたがどんな人間であるのかが、しっかり伝わっているはずです。

逆に通勤電車などで毎朝会っていても一度も話したことがなければ相手がどのような人間なのか識る由もありません。

このように「精神」と「肉体」すなわち、心身が対になったものが人間であり、それらもまた「精神」が『陰』、「肉体」が『陽』という関係性を有しているのです。

では、この目に見えない「精神」とはどのようなものなのか、また目に見える「肉体」はどのような生理作用により成り立っているのかを東洋医学の目線で探ってまいりましょう。

精神という言葉には、人の心・たましいなどの他に「物事の根本」という意味があります。

つまり肉体も含めた人間そのものを成り立たせる根源的なものが精神というわけです。

また精神は「精」と「神」に分けられ、それぞれ違う働きをしています。

私たちが生命活動を行なうためにはエネルギーを必要としますが、「精」はそのエネルギーを産み出す材料となる物質を意味しているのです。

そしてそれには先天性のものと後天性のものがあります。

先天性のものは、私たちがこの世に生まれ来るときに両親から授かるもので「先天の精」と呼ばれます。

また後天性のものは、普段の食事により得られるもので「後天の精」と呼ばれています。

それに対し「神」は、全ての生命活動を意識的・無意識的に支配・統制するものと考えられ、狭義の意味においては思惟活動を主宰する「こころ」を意味しています。

このように精神は、私たちの肉体が健全に機能し、生命を維持するための生理活動を滞りなく行なうための元となるものなのです。

つまり「こころ」が健康でなければ身体の具合も悪くなるということですね。

現代的にいうならばストレスによって肉体に症状が引き起こされる「心身症」などといったところでしょうか。

『精神』は、常に安定させておきたいものです。

また精神に対し、肉体における生理作用は『気』『血』『津液』という3つのものがそれぞれ担っています。

万物の相関

子供のころ、何かを決めるのによくジャンケンをしたものですが、グー・チョキ・パー、すなわち「石」「鋏」「紙」のどれが一番強いかといえば、そのいずれでもないですよね。

堅固な「石」は金属の「鋏」に勝ちますが、「紙」には包まれてしまいます。

しかし「石」に勝つ「紙」ですが「石」に負ける「鋏」には切られて負けてしまうのです。

そして陰陽五行説の五行にあたる 木・火・土・金・水 もそれと同じく「相克」という関係性を有しています。

つまり…
『木は土から養分を奪い、火は金を溶かし、土は水を吸収し、金は金属の斧で木を倒し、水は火を消してしまいます』
このように各々には「相克」と呼ばれる天敵のような苦手とする相手が存在しているのです。

またそれとは逆に五行にはジャンケンにはない「相生」という関係性が存在しているのです。

相克関係

「相克」が特定の相手にある者が勝つ関係であるのに対し「相生」はある者が特定の相手を産み出す関係、すなわち母と子の関係を持っているのです。

『木が燃えることにより火が生まれ、火が消えるとそこには土が残ります。

土からは金が産出され、金属の表面には水滴が生まれ、その水が木を育てていくのです』

相生関係

このように五行を構成する5つの要素は互いに運行循環するとともに、何かが強くなり過ぎたり、弱くなり過ぎたりすることが無いよう「相生」「相克」という絶妙のバランスを取りながら全てのものを成り立たせているのです。

そしてそれを人に当てはめた場合、健康な状態とは、五行における「相生」「相克」の関係が、正しく保たれている状態をさすものであり、それが害なわれたものを私たちは病気と呼んでいるのです。

病気とは「気」が病んでいると書きます。

また、そうなると元々の「気」、すなわち元気がなくなってしまいます。

「陽気」「陰気」「正気」「根気」また「気に障る」「気が散る」「気の毒」など、私たちの生活の場面で様々な言葉に使われている『気』という文字。

ではこの『気』とは、一体どのような意味を持つものなのでしょうか?
それでは、東洋医学にも深く関与する『気』にまつわる色々な話を一緒に学んでまいりましょう。

ちなみに、ジャンケンホイの語源は仏教の用語である「料簡法意」(りょうけんほうい)からの音写とされており、料簡つまり「考え」を法意すなわち「天の意志」に委ねるというものなのです。

両親からのバースディプレゼント

恋心を抱いていた人にフラれてしまったり、忙しくて食事の時間が取れなかったり、また徹夜が続いている時などは誰でも「元気」が出ませんよね。

そしてそのようなストレスが長く続くと「気が重くなる」ばかりか幾つも重なった場合には「病気」になってしまうかもしれません。

それに「気落ち」し過ぎて「気が触れ」たり、「狂気」となってしまっては、それこそ一大事です。

でもそれとは逆に、宝くじに当たるような良いことがあったり、ハイキングや旅行に行って美味しいお弁当や料理を食べたり、充分な睡眠をとったあとなどは「気力」が充実して「元気」になり「活気」あふれる時間を過ごすことが出来るはずです。

いかがですか皆さん。

このように『気』は私たちの生活のありとあらゆる場面に密着して私たちと深いつながりを持っているのです。

でも、こんなに密接な『気』とは、一体何なのでしょう?
東洋医学においては、それを生命活動を支えるエネルギーであると定義付けています。

ですからいろんな言葉に含まれる『気』という文字をエネルギーという言葉に置き換えて考えてみると、それぞれの言葉の意味をイメージしやすくなるのではないでしょうか。

たとえば「やる気」という言葉は行動するためのエネルギーであり「気抜け」とはそのエネルギーが抜けてしまった状態、また「勇気」は勇ましいエネルギー、「悪気」は悪事に使うエネルギー「気性」「気質」はその人の持つエネルギーの性質を表現しているといった具合です。

「元気」とはエネルギーの元となるもの。

いくら体中のエネルギーを集め合わせ「気合い」を入れても元気がなくてはエネルギー不足で力が出せず「無気力」になってしまいます。

そこで私たちは山や海など自然の中に出向き、大きく深呼吸をして美味い空気を吸ったり、栄養のあるバランスのとれた食事をしっかり摂取したりして元気を取り戻そうとするのです。

そう、すなわち消耗した『気』は補えるものでもあるということですね。

では『気』とは、本来どのようにして私たちに備わり、またどのような作用を持っているものなのかを、その種類とともに見てまいりましょう。

私たちの生命活動を支えるエネルギーである『気』の材料となるものには、先天性のものと後天性のものがあります。

先天性のものは両親から授かる「先天の精」であり、それから作り出された『先天の精気』が発育や生殖を主ります。

そしてそれは、誕生したときが最も充実していますが、日々の生活を送り年齢を重ねることにより徐々に減少していき、それが尽きたとき人は死を迎えることになるのです。

また後天性のものには、普段の食事に含まれる『水穀の精微』と呼ばれる栄養に当たる「後天の精」と呼吸により体内に取り込まれる『自然界の清気』と呼ばれる酸素に相当するものがあり、これらの働きにより『気』は日々、補充されていくのです。

すなわち、私たちは食事を摂り呼吸をすることによって日常の生活に必要な『気』を栄養と酸素から作り出し、親からもらった生命を持続継続させているのです。

そして人体を成り立たせる『気』は、心拍運動や呼吸運動を促進する「宗気」、全身を栄養する「営気」、体表を防御する「衛気」、生命活動の原動力となる「元気」の4種に分けられます。

では次に『気』は、どんな生理作用を持つのかを見てみましょう。

『気』には、推動作用・温煦作用・防御作用・固摂作用・気化作用という5つの作用があり、いろいろな仕事をしています。

推動作用 - 臓器や組織の働きを促す作用
温煦作用 - 体熱を産生し身体を温める作用
防御作用 - 疾病の原因から生命を守る作用
固摂作用 - 体液の異常流出を抑制する作用
気化作用 - 主に物質の代謝を行わせる作用
このように『気』は、生命を維持するエネルギーとして生理活動の中核を担っているのです。

今宵、ブラッディーマリーを …

東洋医学において「気」がエネルギーを意味するのに対し「気」とともに人体の生理作用を担う基本的物質である「血」と「津液」は現代医学の血液と体液に相当するものと広義の意味において捉えていただければ良いと思います。

「血」は、赤い液体であり血脈中を流れ全身の組織や細胞に栄養を与える作用を持っています。

皮膚や毛髪に潤いや光沢があり顔色が良いのも、感覚器や運動器が円滑に機能し、また精神的な安定がなされるのも栄養豊富な「血」が欠乏することなく充分に満ち足りているからなのです。

また「津液」は、人体の正常な水分の総称であり、リンパ液・細胞内液・唾液・胃液・涙・汗・尿などが全てそれに含まれます。

そして「津液」は、体表から体内にいたるまで広く身体を潤すとともに体温調節の働きもしています。

では、ここからは「気」「血」「津液」が存在し働く現場の中心となるそれぞれの「臓腑」(内臓)を見てまいります。

… と、言いたいところですが、
しかしその前に …
ここで皆さんにはお酒でも呑んでいただいて、少し … いや、かなり頭をやわらかくしていただかなければなりません。

なぜなら、東洋医学における「臓腑」の概念は「血」や「津液」がまだ現代医学に近い部分が多いのに比べ、実際の内臓の機能とは、全く違った考えを有しているからなのです。

それゆえ各臓腑たちは、様々な現実とは異なる働きをするばかりではなく、実際には存在しない架空の臓腑までもが登場してきてしまうのです。

… でも、決してそれらは適当に臓腑の働きを定めたいい加減なものではありません。

東洋医学の生体観は人間、そして精神と肉体も…、その全てが自然界の一部てあると捉えているため、目に見える形にこだわるのではなく、「気」「血」「津液」や「精」「神」も含めたその生理機能全体を概念として認識しているため、そのような目に見えない臓腑も登場してくるのです。

ですから、東洋医学に基づくその生理作用の示す答えは、形状だけに目を向けた現代医学のそれと何ら変わらず、また治療においては副作用なく、それ以上の成果をあげているのが現実です。

ところで…、皆さんは「忘憂の物」という言葉を聞かれたことはございますか?
「忘憂の物」とは、憂いを忘れさせてくれる物という意味を持った酒の異称。

そう、今宵はカクテルとともに …
さぁ皆さん。

それでは、そろそろ私とご一緒に五臓六腑に染み渡る「百薬の長」を味わってみましょうか。

小さな『宇宙』の物語

臓腑とは、いろんな内臓の総称名ですが、それは「臓」と「腑」に分かれ、それぞれ6つずつ存在しています。

そのうち「臓」は、中身のギュッと詰まった実質器官のことであり〈肝〉〈心〉〈脾〉〈肺〉〈腎〉〈心包〉が、それぞれ固有の機能を持って協同しながらいろんな役割を果たしています。

それに対し「腑」は、中身が空の筒状または袋状の形をした器官で〈胆〉〈小腸〉〈胃〉〈大腸〉〈膀胱〉〈三焦〉がそれにあたり、主に飲食物の通り道として食品の消化にたずさわるとともに、栄養の吸収をおこない、残りカスを便・尿として体外に排泄する働きをしています。

しかし、皆さんはもう気付かれたと思いますが、「臓」「腑」それぞれに〈心包〉〈三焦〉という聞き慣れない内臓が一つずつ含まれていますよね。

そうなのです。

この2つが東洋医学独特の概念を持つものであり、両方の臓腑とも実際には存在していません。

つまりそれらは特定の器官を指すものではなく、形のない機能だけを持つものとして臓腑の概念に含まれているのです。

ですから他の臓腑とは切り離して考えることが必要で、その2つはただ単なる作用の名称であると捉えていただければと思います。

〈心包〉は、何かの際、自分が犠牲となって心を包んで守るボディガードのような役割。

そして、
〈三焦〉は津液など、身体の水分代謝のための通路とされています。

ではここからは、それぞれの臓腑の関係性と、それらがどんな働きをしているのかを一つずつ見ていくとともに、どの臓腑が五行のどの属性に含まれるのかも調べてまいりましょう。

《上司と部下》
各臓腑は、それぞれが互いに協力し合いながら人体の生理作用を営んでいますが、それらの性質は相対的に「臓」が陰、「腑」が陽に属するとされています。

そしてこの2つには「腑」のおこなう生理活動を「臓」が統轄し「腑」がそれに従属するという、まるで上司と部下のような主従関係が存在するのです。

また「腑」は、各々が独自の働きをもって消化・吸収・排泄などの作用を一連のものとして行なうのに対し「臓」は、それぞれ固有の機能を持ちながらも単独で機能することはあまりなく、基本的には定まった複数の協調する2臓の組み合わせにより様々な生理活動を行なっているのです。

ではまず、部下である「腑」の働きから見てまいりましょう。

《腑のおこなう一連の働き》
口から摂取された水穀(食品)は、最初に胃へと運ばれます(受納)。

そして胃では水穀の消化(腐熟)がおこなわれ小腸へと消化物が送り出されます(和降)。

小腸では、胃で消化された水穀を「清」と「濁」すなわち、人体に必要な水穀の精微(清)と不要な糟粕(濁)に分別し「清」を脾に運ぶとともに「濁」をさらに水分と固形物に分けて膀胱と大腸に送ります。

またその時、胆は肝で生成された胆汁を小腸へと分泌して消化を手助けする働きをしています。

膀胱には全身を巡った水分と小腸から送られた水分が集め貯えられやがてそれが尿として排泄されます。

そして大腸では小腸から送られてきた糟粕を転送しながら変化させ糞便(大便)として肛門から排泄する働きがなされているのです。

では次は上司にあたる5つの「臓」ですが、まずはそれぞれの持つ主だった固有の機能を見てみましょう。

《臓の持つ固有の機能》
「肝」は、血液の貯蔵・血液量の調整のほか、筋の運動を円滑にするとともに、視力の調整や気・血の循環を促します。

「心」は、血液循環を正常に維持し全身を栄養するとともに、味覚・発汗・言語を正しいものとし、精神を安定させる役割を担っています。

「脾」は、飲食物の消化と運搬を主に司り、栄養素を取り出し補充するとともに、四肢・肌肉・口唇を栄養し、血管から血液が漏れ出ないようにしています。

「肺」は、鼻や咽頭と連結し呼吸や全身に流れる気を調整するとともに、毛穴の開閉や発汗により体温を調整する働きをしています。

「腎」は、生命力と生殖機能の根源であるとともに、尿を生成し全身の水分代謝の調節をはかる以外に、脳・脊髄の管理・栄養、吸気能力の補助など多くの役割を担っています。

しかし、これら5つの「臓」は単独では機能しません。

ですからここからは、これら5つの「臓」が上司同士、どのような組み合わせで、如何なる働きをしているかを一つ一つ見ていくといたしましょう。

《臓と臓の協調作用》
「臓」と「臓」の組み合わせは全部で10組あります。

それは、5つの臓の1つがそれぞれ他の4つの臓と組み合わさったもので、その働きもまた両者が協調し合ったものとなっています。

「肝」と「心」は、精神活動および血の運搬と貯蔵を行ないます。

「肝」と「脾」は、消化吸収および血の生成と貯蔵を行ないます。

「心」と「脾」は、血の生成と運搬、精神活動の維持を担います。

「心」と「肺」は、気と血の相互運搬の役割を担っています。

「脾」と「肺」は、気の生成および津液の代謝を行なっています。

「脾」と「腎」は、先天の精・後天の精の調整および津液の代謝を行なっています。

「肺」と「腎」は、津液代謝および呼吸の調節を行なっています。

「肺」と「肝」は、気の昇降の調節を行なっています。

「腎」と「肝」は、精と血の相互生成を担っています。

「腎」と「心」は、精と血および精と心の調整、そして体温の調整を担っています。

《臓と腑の働きと属性》
では、部署が異なる二人の上司同士の関係を見ていただいたあとは5組の上司と部下(臓-腑)の関係性とその所属する部署、すなわち五行の属性がどこなのかを探ってみましょう。

〈木〉の属性を持つ「肝」は、「胆」の胆汁分泌を調整して消化を補助する役割を担っています。

〈火〉の属性を持つ「心」は、温煦作用で「小腸」の清濁を分ける機能を促進する役割を担っています。

〈土〉の属性を持つ「脾」は、「胃」に対して消化作用を促し、消化物を小腸へと運ばせる役割を担っています。

〈金〉の属性を持つ「肺」は、気の推動作用により「大腸」の動きを促し、排便させる役割を担っています。

〈水〉の属性を持つ「腎」は、気化作用で尿を作り「膀胱」で貯蔵し、排泄させる役割を担っています。

いかがですか皆さん。

かなりややこしく難しかったとは思いますが、『東洋医学』の持つ生理観が、現代医学のそれと同種の作用を各臓腑に持たせながらも全体が個別に機能するのではなく、複雑相互に関連し合いながら、生体がバランスをとって機能するように考えられていることが少しお分かりいただけたのではないでしょうか。

そして、これらもまた臓腑を「陰陽」として、各内臓が「五行」に全て当てはまるとともに、小宇宙である人体をその大宇宙の法則が支配統制しながら構成していると「陰陽五行説」は説いているのです。

『天使』と『悪魔』の棲む世界

「あなたは善い人? それとも悪い人?」
あなたはこの質問にどう回答なさいますか?
私ならきっと少し考えたあと …
「出来るだけ善い人でいたいと思っています…」
と曖昧な答えをしてしまうと思います。

その理由は、恥ずかしながら普段は正しい心でいようと心掛けていても時には怒りや欲望などにより、ついつい邪悪な心が顔を見せてしまうからです。

自分の心の中で戦う「天使」と「悪魔」。

人間とは本来「善」なのか「悪」なのか?
性善説と性悪説の間で揺れる人間の本当の姿がそこに見え隠れしてしまうのです。

しかし「善」「悪」、その答えはどちらでもありません。

例えば、火や金属は人類に高い文明を築く力を与えました。

コンロで魚を焼き、包丁で肉や野菜を切り様々な料理が食卓に並びます。

でもそんな便利な物たちも、ひとたび使い方やその扱い方を間違えればそれらは、火災を引き起こしたり、人を殺す道具にもなるということを、私たちは知っておかなければならないのです。

そればかりか、自然界に存在するウラン等の放射性物質に至っては完全に制御管理することが出来なければ未来永劫、二度と取り返しのつかないことにもなってしまいます。

火も、風も、水も、石も、 … 自然界を構成する万物は「善」と「悪」その相反する2つの顔を持つとともに、人間そしてその心もまた大自然の一部としてそこに包摂されているのです。

つまり大切なのは、全てその扱い方ということですね。

そして正しい力と邪悪な力、すなわち「正気」と「邪気」の戦いの結果、邪(よこしま)なるものが勢力を持ってしまった状態を、東洋医学では主に〈外感〉つまり、外部環境が原因となった病気と捉えています。

また病気にはそれ以外に自身が原因となるものが幾つかあり、それらは〈内傷〉と呼ばれています。

『東洋医学』の解剖・生理を学んでいただいた皆さんには、ここから病気になってしまう原因、すなわち病因の数々についてご説明をさせていただこうと思います。

病因は、まず〈外感〉と〈内傷〉の2つに大きく分類されますが、それらは更に「外因」と「疫癘」および「内因」と「不内外因」に分けられます。

病因の分類

「外因」は、六淫とも呼ばれ季節や6種類の気候の変化などによる身体への影響をさし、「疫癘」は、コレラ・ペスト・ジフテリアなど、強力な伝染病の総称名で〈外感〉はこれら外的な要因によって引き起こされる病気の原因をいいます。

また「内因」は、七情とも呼ばれ自分の内面の感情や思いによる障害のことであり、それ以外に食べ過ぎ等々、生活の不摂生によるものが「不内外因」と呼ばれ〈内傷〉はこれら内的な要因で引き起こされる病気の原因をさしています。

その中において疫癘は、一般的にいう伝染病のことですから皆さんにも理解しやすいと思います。

そしてそれは、邪気の力が強過ぎるために感染してしまうものであり、予防接種などを受けない限りなかなか防ぐのが難しいというのが実情です。

そして不内外因は、食の過不足・労働・房事(セックス)過多・外傷などによるものですから日常生活の中で自らが摂生し注意をすれば対処可能なものであると思います。

ですからここでは〈外感〉に含まれる外因すなわち「六淫」にどのような種類があるのか?
また〈内傷〉に含まれる内因としての「七情」とは一体どんな強い感情なのか?
それらを詳しく見ていくといたしましょう。

移りゆく季節の中で …

一年を通して私たちの生活は季節とともにあると言っても過言ではないでしょう。

確かに最近は地球温暖化の影響でしょうか?季節感が減ってきているとはいえ、やはり冬は寒く夏は暑いのが通常です。

『東洋医学』では、この季節の変化による気候の特徴を「六気」と呼び、風・暑・湿・火・燥・寒、の6種類に分類しています。

温かくなり始める春には、春一番など風が起こります。

そして夏に近づくにつれ暑くなり始め、じめじめとした湿気の多い長雨の時期がようやく終わると最近は火のそばに居るほどに感じる真夏を迎えます。

でも、いつしか季節は巡り、ふと気が付くと涼しさを含んだ乾燥した秋の空気にいつの間にか変わっています。

そして、そうこうしているうちに季節はもうすでに寒い冬 … 。

こうして私たちは、移ろいゆく季節の中で自然の変化と日々向き合いながら、その季節に応じた暮らしを送っているのです。

しかし、あまりにも夏が暑過ぎたり、冬の寒さが極端であると、私たちは体調を崩してしまいます。

また自身の体力が弱っていたり、梅雨や春霖・秋霖など、細菌やウイルスが増殖しやすい湿度の高い日などが続くとそれもまた身体に具合の悪さを生んでしまいます。

つまりその時、それぞれの六気は邪悪な「六淫」として作用し、風邪・暑邪・湿邪・火邪・燥邪・寒邪となってしまっているのです。

《風邪》 …開泄・動の性質
人体に侵入すると上部に症状が現れることが多く、頭痛・鼻づまり・咽頭痛を引き起こすとともに発熱・発汗など急に早い経過で症状が進んでしまいます。

《暑邪》 …炎熱・昇散の性質
暑が夏の主気であるため、その症状は盛夏だけにみられ、高熱・顔面紅潮・大量発汗・口渇などの症状とともに悪心嘔吐・下痢・脱力感を伴うこともあります。

《湿邪》 …重濁・粘滞の性質
人体に侵入すると身体や手足が重だるくなり、それが関節に停滞すると動作が障害され重く痛みます。

また大小便も切れが悪くなったり濁ったりしてしまいます。

《火邪》 …炎上・蒸発の性質
火は、暑の亢進したものであり、高熱・顔面紅潮・大量発汗など暑邪の症状に加え、意識障害や歯茎の腫れ・口舌のびらん・鼻血・血便・吐血などの異常出血も起こってきます。

《燥邪》 …乾燥・渋の性質
人体に侵入すると津液を消耗させるため、鼻や口・喉が渇き肺を損傷させやすく、また皮膚や髪の毛がかさついて亀裂を生じるとともに大便は固く出にくくなってしまいます。

《寒邪》 …凝滞・収引の性質
気血の流れを滞らせ、筋肉や皮膚を収縮させてしまい腹部や全身の冷え、手足や身体のかじかみ・痛み・下痢・無汗などの症状を引き起こしてしまいます。

いかがですか皆さん。

本来、普通にある季節の気候変化の幅が少し大き過ぎるだけで自然の中の正常な「気」が恐ろしい「邪気」へと姿を変えてしまうのがお分かりいただけたのではないでしょうか。

もしかすると近年、世界中で起こっている様々な異常気象も人間の身勝手な振舞いに怒った大自然が人類を滅ぼそうとしているのかもしれませんね。

今のこの時代を如実に表現する言葉として誰もが一番に思い描くのは悲しいことですが「ストレス」という言葉ではないでしょうか。

若者、中年、老人ともに増え続ける自殺者。

孤独・貧困・絶望 …
行き先の見えない未来に戸惑い懊悩する多くの人々。

今、この社会の中に蔓延る最大の病因は、細菌やウイルスではなくこのストレスなのかもしれません。

『東洋医学』では、病気の内なる原因を内因と呼び「七情」という7つの精神素因に分類しました。

そしてその行き過ぎた感情や精神状態が臓腑気血に影響を与え病気を発症させると考えたのです。

怒り・憂い・悲しみ・恐れ・驚き、そして思いや喜びでさえもまた過ぎれば心身機能を失調させる病因の1つとなってしまうのです。

しかし、日常におけるこれらの感情は外界の事柄に対応するための精神の正常な反応であり、普通に社会生活を送っている場合においては特に変調を起こさせる素因となるものではありません。

時にそれらは人生に厚みを与えるとともに、心にメリハリや彩りを添えるものでもあり、私たちの豊かな思惟活動の源泉でもあると言えるのです。

つまりそれら「七情」が病因となるのは強烈で急激な精神に対する衝撃があった場合や持続的な精神刺激が加わったときであり、私たちは、そのストレスにより心身症を引き起こしてしまうのです。

そしてそれら7つの感情は決まった臓器を障害します。

怒り過ぎると「肝」を障害し、血が頭部に急激に上昇することにより卒倒して意識不明となりショック状態になることがあります。

憂いや悲しみは「肺」を障害し、気が滅入り、意気消沈することにより溜め息ばかりが出て、やがて咳が現れます。

恐れや驚きは「腎」を障害し、大小便の失禁が起こったり、精神が不安定になり、ひどい場合には精神が錯乱してしまいます。

思い過ぎると精神が疲労し「脾」を障害して食欲がなくなったり、動悸・健忘・不眠・多夢などが現れます。

喜び過ぎると気が緩み「心」を障害し、集中力の低下や不眠を生じ激しい場合には失神・狂乱におちいります。

このように私たちが持つ様々な感情は、時として私たち自身を深く傷つけ心の内側から心身を蝕み、命をすり減らしてしまうのです。

今という時代、そしてこの社会をすぐに変えることは出来ません。

でも私たち一人一人が強く正しい心を持ち続け、その間違えた異常な世界に、力を合わせて立ち向かったならば、未来はきっと変えることが出来るはずです。

そう、今を生きる私たちは繋ぎゆく子供たちに何かを残してやらなければならないのです。

私たち人間がどう在るべきかを考える時、それが今という時代なのかもしれません。

招かれざる客

『東洋医学』の臨床おいては患者さんを診察して診断を下すことを「証をたてる」と表現します。

ですから証は、その字が示す通り「あかし」であり、心身の状態を証明する病名(診断名)とイコールのものと捉えてください。

そして証は、原因と症状を表す「本証」と「標証」、また一次・二次を意味する「主証」と「客証」に分類されます。

風邪をひくと咳や鼻水・発熱などに悩まされますよね。

また虫歯になり、歯が痛んだり歯茎が腫れたりした経験は誰にでもあると思います。

この場合において風邪や虫歯は「本証」すなわち根本の原因であり、咳や発熱、また痛みや腫れなどは、その根本原因により引き起こされた症状で、「標証」つまり根に対し、枝葉であると考えるのです。

それと同様に、膝関節の炎症があり、その痛みで歩き方が変であったために腰痛が生じた場合においては、膝関節炎が主になる疾患、すなわち「主証」であり、腰痛はそれにより後から二次的に引き起こされた疾患であるため「客証」と表現されるのです。

もちろん治療は、根本原因である「本証」を治すこと(根治療法)が最大の目的ですが、あまりにも「標証」の苦痛が激しい場合には、その症状を先に治療すること(対症療法)も大切です。

また「主証」「客証」も同じく、それぞれの状態に応じて、同時に治療をしていく必要のある場合もあるのです。

でも、適切な正しい治療をするためには、まず証をきちんとたてなくてはいけません。

では証は、どのようにしてたてられるのでしょうか?
次は、その診察・診断の方法を詳しく見て参るといたしましょう。

《東洋医学の診察法》
『東洋医学』における診察は「四診」によっておこなわれます。

四診とは「望診」「聞診」「切診」「問診」の4つの診察法をさし現代医学で言うところの、視診・聴診・触診・問診に当たります。

「望診」は、患者の身体を目で見て診察する方法です。

体形・姿勢・動作、そして顔色や表情・目つき、また肌や爪・舌の状態などをしっかりと観察し、疾病の性質や予後を見極めます。

「聞診」は、発声・呼吸・腹部の音などを耳で聞く、聴覚を使って診察するものと、口臭・体臭・大小便などの匂いを嗅ぐ、嗅覚を使って診察する方法を合わせた診察法です。

「切診」は、手指や手掌で直接患者の身体に触れて診察する方法で脈やお腹の張り、皮膚の状態や冷え・熱感などをチェックします。

「問診」は、患者に問い掛けて、主訴・現病歴・既往歴・社会歴・家族歴などを訊ねるとともに、食欲や睡眠・大小便・月経など患者の状態およびその置かれている環境にまつわる情報までをも詳しく訊き、疾患の生じた経緯をつかむ診察法です。

治療者は、これら四診により得られた情報をもとに、体質も含めた患者の症状を総合的に判断し、証をたてるのですが、それにはまだ病証がどんな性質を持ち、身体にどれくらい侵襲してきているのかを知る必要があります。

そして、その病証の状態を捉える方法が「八綱病証」と呼ばれる各疾病の持つ共通性を分析する方法です。

それは後に治療方針の決定を下す際にも重要な役割を果たすもので東洋医学の診断には欠くことが出来ません。

皆さんの体質を知るためにも用いられる八綱病証による分析。

さて、あなたはどんな病証タイプの人なのでしょう。

自身の体質パターンを見てみませんか?
《八綱病証による分類》
寒がりの人や暑がりの人、また体力のあまり無い人や旺盛な人など人それぞれ身体のタイプは大きく異なります。

それは病気とまではいかなくとも何らかの病証の特徴を持つタイプであり、多くの人は少なからずとも1つ2つの体質的な偏りを有しているのです。

『東洋医学』では、異なる病証をその特徴により分類し、それらを「八綱病証」と名付けました。

そしてそれは「表裏」「寒熱」「虚実」により全ての病気が、この3組の相反する陰陽分類で分けられるというものです。

では、これら3組の病証分類が、それぞれどんな基準を持つのかを詳しく見て参りましょう。

〈表裏〉… 病位を表すもの
表裏は、身体に侵入した外邪が体表部からみて、どの位置に存在しているのかという「病位」を判断するものです。

表は、皮膚など身体の浅い部分をさし、疾病の初期症状とされています。

また裏は、内臓など身体の最も深い部分をさし発病から一定の経過を経て現れるものとされています。

〈寒熱〉… 病情を表すもの
寒熱は、疾病の性質、すなわち「病情」を区別するもので、寒は悪寒や手足の冷え、顔面蒼白など、自覚的・他覚的に冷感のあるもの、熱は発熱や顔の火照り、口渇など、自覚的・他覚的に熱感のあるものを表します。

〈虚実〉… 病勢を表すもの
虚実は、身体へと侵入した邪気と、それに立ち向かうエネルギーである正気との戦いの情勢すなわち「病勢」をみるもので、虚は正気が不足している状態をさし、邪気に抵抗する力が弱いため、正邪の間において激しい闘争はみられず、呼吸の弱さや胃弱・下痢・頻尿などの症状が現れます。

体型的には、骨肉がすんなりして、か細く体力のあまり無い人にみられる病証です。

また実は自身の正気は普通だが、邪気の力が強過ぎるために正邪の闘争が激しくなった状態で、呼吸の乱れや無汗・便秘・乏尿などの症状が現れます。

体型的には、骨肉ががっしりとして体力の有る人にみられる病証です。

八綱病証において、病証はまず表裏の2つに大きく分類されます。

そして表裏それぞれがまた熱と寒に分けられ4つに分類されます。

さらにそれが実と虚に分けられ「表熱実証」や「裏寒虚証」など、全部で8つの病証に分類されるのです。

トレイン・トレインどこまでも …

「過ぎたるは及ばざるが如し」
論語における孔子のこの言葉は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの徳論の中心概念である「中庸」と同じく、私たちの在り方とともに、自然界の秩序法則を適切に表現しているものの一つではないでしょうか。

粗暴な人も、弱虫な人も、そのどちらも社会の中ではあまり良くありません。

同様にドンキホーテのように無謀に風車に立ち向かうことも、またハムレットのように懐疑傾向が強くなかなか行動に移すことが出来ないことも、どちらも問題があるのです。

私たちはその過大と過小の正しい中間、すなわちその事柄に対し、最も適した状態を常に見極めなくてはなりません。

「くそ真面目」や「バカ正直」など、たとえ善いことであったとしても、度が過ぎれば足りない状態と何ら変わらず、害を及ぼすことにもなりかねないのです。

『東洋医学』の病証診断において、全ての病証に用いられる虚実の概念は、単純に表現すると「不足と過剰」と言い換えることが出来ます。

そしてその病因となっている過不足をきたしている物たちを「補冩(ほしゃ)」という方法を使って正常な状態に戻してやることこそが『東洋医学』の治療方針の中核であると言えるのです。

不足を意味する虚に対し、足らないものを補う「補」。

そして多過ぎるもの、すなわち実を減らすことを意味する「冩」。

つまり補冩という概念は、心身のバランスの崩れを元に戻してやるための外的な働きかけによる手法というわけです。

本来、生体は生まれながらにしてホメオスタシス、すなわち恒常性の機能を有しています。

しかし何らかの原因により、その機能が害なわれたとき疾病が発症してくるのです。

そこでそのような場合『東洋医学』では「鍼灸(しんきゅう)」などの技法を用いて補冩による虚実の調整を行い、その恒常性の機能を回復させることにより、生体が自ら持つ自然治癒能力を最大限に引き出し、症状を快癒させる治療を行うのです。

そしてその治療の際に用いられるものが、俗に「ツボ」と呼ばれる「経穴」であり、またそのつながりが「経絡」なのです。

皆さんが普段利用される列車の路線は、日本中にくまなく張り巡らされ、またその各路線にはいくつもの駅が点在しています。

そして、その主幹となるものが新幹線であり、縦に長い日本列島を北から南から数本の路線を使って繋いでいます。

また新幹線の駅の一部には在来線が乗り入れ日本列島の各部を横に繋いでいるのです。

同じように縦に長い私たちの人体を日本列島に例えるとすると頭や体幹・手足など、全国それぞれの数百にもおよぶ駅に当たるものが経穴であり、その各路線が経絡と呼ばれるものなのです。

経穴は、一般的には「ツボ」とも呼ばれ、臨床においてはもちろん治療点であると同時に、疾病の反応点・診断点としても用いられ、WHO(世界保健機関)も鍼灸や手技による、その絶大な効果効能を承認しています。

人体列島縦断鉄道の路線、経絡は「経脈」と「絡脈」という2種類の路線に分かれます。

そしてそれらは経脈が日本の大動脈に当たる縦の幹線、絡脈はそこから横に短く出る在来線とイメージして頂くとよいと思います。

でも人体の在来線である絡脈には固有の駅がありません。

ですからその始発駅である「絡穴○○駅」は、新幹線の駅「経穴○○駅」と同所・同名です。

日本の新幹線に東海道新幹線・山陽新幹線・九州新幹線…と、あるように、人体の主幹である経脈にも12本の幹線が敷かれています。

それらは「正経12経脈」と呼ばれ、それぞれの始まりの経穴と終わりの経穴、すなわち始発駅と終着駅が乗り継ぎをしており、人体の各所全てを一つの長いループとして繋いでいるのです。

また経脈には、これら12本の「正経」以外に「奇経」と呼ばれる新幹線とは違った経脈が8つ存在し、そのうち6つは固有の駅を持っていませんが、残りの2つ「督脈」と「任脈」は、近未来鉄道リニアモータートレインにも匹敵する主要幹線で、各々固有の駅を持つとともに体幹の背側・腹側の中央を縦走しています。

さてここからは、全ての経絡のうち固有の駅を持つ縦に走る主要な幹線、12本の新幹線と2本のリニアモータートレインの路線とその駅について皆さんにお話しを進めて参ります。

そしてそれらは合わせて「十四経」とも呼ばれています。

リニアモータートレインは、背骨の上を通る「督脈経」と腹・胸の中央を走る「任脈経」で構成されています。

督脈経(27穴)は、尾骨の先端「長強」駅を始発として、体幹の後ろ中央、脊柱の真上を上行し、頭のてっぺんを通過して顔に至り、鼻先を越え上唇の裏側「齦交」駅に到着します。

任脈経(24穴)は、肛門の直前「会陰」駅を出発したあと腹側、正中線を上行し、臍・鳩尾を通過して胸に至り、のど仏を越え、下唇の真下「承漿」駅に到着します。

次に新幹線ですが、12本の幹線は手先か足先に、始発駅か終着駅のどちらかを必ず持つとともに、それぞれ途中で地上(体表)から地下(体内)に潜り、地下鉄となって各々の幹線に属する臓腑をまとったのち、また地上に戻ります。

そしてそれらは、手と足に「三陰三陽」と称される3本ずつの陰と陽の路線をもち、それが手と足を合わせて12本の新幹線、すなわち「正経12経脈」を形成しているのです。

【 正経12経脈 】
① 手の太陰肺経(11穴)
② 手の陽明大腸経(20穴)
③ 足の陽明胃経(45穴)
④ 足の太陰脾経(21穴)
⑤ 手の少陰心経(9穴)
⑥ 手の太陽小腸経(19穴)
⑦ 足の太陽膀胱経(63穴)
⑧ 足の少陰腎経(27穴)
⑨ 手の厥陰心包経(9穴)
⑩ 手の少陽三焦経(23穴)
⑪ 足の少陽胆経(43穴)
⑫ 足の厥陰肝経(13穴)
そして各路線の終着駅は次の路線の始発駅へと乗り継ぎをします。

詳しくはこちら↓
[リンク: //sp.iatrism.jp/dictionary/tsubo/ 経絡・経穴事典]

 全身経絡図

手の「太陰肺経」は、鎖骨の外側下部に位置する始発駅「中府」を出発した後、腕の外側を下行し手の親指の先にある終着駅「少商」に到着します。

駅の数は全部で11穴、肺に作用する経穴で構成されています。

そして「少商」駅のすぐ傍、人差し指の先には次の乗り継ぎ路線、手の「陽明大腸経」の始発駅「商陽」があるのです。

20個の駅を持つこの路線の終着駅は、小鼻の横にある「迎香」駅。

そしてまた、その傍には次の乗り継ぎ路線である足の「陽明胃経」の始発駅「承泣」が目の真下にあるといった具合です。

このように、これら12本の新幹線が ① → ② → ③ … → ⑫ → ① と順に乗り継ぎながら、人体の内外を巡り、「気」や「血」を全身に行き渡らせて心身を栄養していくのです。

そう、つまり経絡とは「気」と「血」の通り道ということですね。

また、督脈・任脈を含む奇経は、これら正経に気血が充ち溢れた際に洪水を防ぐ放水路の働きをしているのです。

如何でしたか皆さん。

俗に「ツボ」と呼ばれる経穴や経絡のことが少しお分かりいただけたでしょうか。

ちなみに奇経は「奇経八脈」と呼ばれ、督脈・任脈以外に、陰橋脈・陽橋脈・陰維脈・陽維脈・衝脈・帯脈 の6つが存在しています。

人体路線図(経絡の流れ)

旅の終わりに …

お帰りなさい皆さん。

本当にお疲れさまでした。

イアトリズムに満ちた『東洋医学』の世界。

大宇宙の片隅、地球という惑星に存在する小さな宇宙「人体」…
その生命の不思議に触れる旅は如何でしたでしょうか?
難解なところも多く、かなり大変だったのではないかと思いますが少しは『東洋医学』の生体観をご理解いただけたのではないかと思います。

人間を大自然の一部であると正しく認識し、傲慢になることなく、自然の摂理に即した生き方をすることの大切さを『東洋医学』は、重要視しています。

生まれながらに備わったホメオスタシスの能力。

しかし、現代の私たちの生活はあまりにも自然から掛け離れ、その素晴らしい恒常性の機能をだんだんと失ってきているのではないでしょうか。

生活環境の向上とともに、私たちや私たちの子供には、もう既に免疫力の低下が現実に現れ始めています。

花粉症やアトピー・食物アレルギーなどに苦しむ人が昔に比べ、どれだけ多いかを見るだけでもその変化は歴然です。

便利で快適な生活と引き換えに私たちが無くしてしまったものは、あまりにも大き過ぎるように思えてなりません。

今以上に自然を壊すことは、未来を担う子供たちのためにも、何としても食い止めなくてはならないのです。

でも、だからといって今の暮らしをすぐに変えることは絶対に不可能です。

ですから私たちは、その置かれた環境の中で一人一人が健康の有り難さを改めて理解し、何かを日常の生活において、自然に行なえることが求められているのです。

多くの人が健康や医学に興味を持ち、自身や家族の健康状態に留意することが出来る知的健康生活。

イアトリズムは、そんな『イアトリスト』たちの育成を至上の目的としているのです。

そして、基礎医学と東洋医学の端緒に触れたあなたにはもう、イアトリズムの観念が芽生え始めているはずです。

『イアトリズム学院』は、知的健康医療概念「イアトリズム」の基礎となる様々な健康知識を皆さんに提供するフリースクール。

これからも面白い講義をどんどん増やして参ります。

また、[リンク: //www.toyo-igaku.or.jp/ 一般社団法人 日本東洋医学協会] が管理運営するたくさんの関連サイトも、それを補填拡充するためにきっと役立つことと思いますので、是非とも当サイトと合わせてご覧くださいね。

それでは皆さん、また近々お会いいたしましょう。

by イアト